こんにちは。
飯田橋にあるカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
アニメ『巨人の星』で、星飛雄馬の父親はちゃぶ台返しを得意技としていました。それにしても、彼は一体全体なんだってあんなに腹を立てていたのでしょうか。
おかずが不味かったのでしょうか。
貧乏ゆえのストレスでしょうか。
飛雄馬がなにか悪いことをしたからでしょうか。
それとも、本人の器が小さいのでしょうか。
いろいろと考えてみますが、ちゃぶ台返しのあのシーンのインパクトが強すぎて、あそこに至るきっかけとかそんなのが忘却の彼方に行ってしまっていることに気が付きます。そもそも、ちゃぶ台をひっくり返して、飛雄馬のお姉さんが少ない家計をやりくりして揃えた材料で作った心づくしの夕食を台無しにしてもいいってことはないのです。
星一徹(父親の名前です)がなぜ、ちゃぶ台返しをするに至ったのか、その答えのヒントは保育園にありました。
臨床心理学を学ぶ大学院で、赤ちゃん心理学や子ども心理学などをテーマにするゼミに入ると、学生たちは保育園に行って、子どもたちの発達を観察する機会が得られたりします。そこで実習と称して、ベテランの保育士の先生たちのお手伝いをしたり、子どもたちと遊んだり、ナメられたりしながら過ごすのです。
特に大変なのは2歳児クラスです。その他のクラス、例えば0歳児クラスは、こういってはなんですが、ほぼ寝たきりで、動きもトロいので、学生のペースでお世話ができますし、年長さんクラスになると、今度は子どもたちのほうが学生の使い方を心得ていて、一緒に遊んでもらったり、絵本を読んでもらったりしています。
2歳児クラスの子どもたちは、動きがすばしっこくなってつかまえにくくなっている上に、空腹や疲れなどの身体の変化がもろに気分にでていきなり不機嫌になったりします。また、仲間同士でもめごとがあると、アクマのようになって、手が出たり、足が出たり、口が出たりで(2歳児クラスに入ると、よっぽど危機管理能力の優れている子でない限り、1回や2回は噛んだり噛まれたり、という事件に巻き込まれます)その場が一気にカオスになることもしばしばです。2歳児クラスを担当した学生たちは夕方には心身ともに疲弊して帰るのが常でした。
学生たちがボロボロになっている一方で、先生たちは落ち着いたもので、なぜなら2歳児たちが癇癪を起したり、荒れることは既にオリコミ済みのことだからです。つまり、2歳児の子どもは様々な気持ちが分化し、自分の主張も芽生えてきている時期ですが、それを表現する術がまだ上手ではないので、つい攻撃的な行動に出てしまう、ということを承知しているのです。
子どもの認知的な発達が進み、悲しい、悔しい、いやだ、などの自分の気持ちがきちんと言語化できるようになったり、社会的な発達によって仲間と協力して遊んだり、作業ができるようになってくると、手が出たり、足が出たり、口がでたり(これを行動化と呼んでいます)することは、ほとんど見られなくなります。プロの先生たちは、2歳児のここで、発達を促すような適切な関わりをすることによって、約1年後には落ち着いた(そして実り多い)年長さんになれるということをよく知っています。
2歳児クラスで四苦八苦する学生のように、多くの人は「怒り」にあうと恐れ、疲弊するものです。
なぜなら、「怒り」は、人を傷つけ、自分を傷つける、そうして他者との関係性を傷つけ、社会での自分の居場所をなくしてしまうとされているからです。「怒り」の感情は、社会的なタブーとなっている側面があります。
そういうこともあってむしろ逆に、「怒り」のそのような触れ難い性質を意識的にもしくは無意識に利用する人もいます。すなわち「怒り」は田舎のあぜ道にドーンと高速道路を通すような効果があって、その勢いであっという間に自分の主張(しばしばそれはとても理不尽なものです)を通してしまうのです。
しかし、怒り=(対象を傷つける)攻撃、ではないことは、2歳児クラスの子どもたちの例から私たちは既に学んでいます。
怒りを感じるという内的な体験と、攻撃という行動をするということは本来は別のことであるし、そもそも「怒り」は一見「怒り」に見えるものの、それはまた他の感情である可能性もあります。
子どもたちは「悔しい」「悲しい」といった気持ちの他に「一緒にいたい」「近寄りたい」などの気持ちも「怒り」や癇癪として行動化していました。そして、それらはそれぞれちがった、適切な行動にすることが可能です。例えば言葉で話す、文章にする、絵やアートで表現する、人とのつながりや共にいることを求めることなどを通して、私たちは攻撃以外の他の方法でもって自分の感情を表現することができます。
星一徹は怒って、ちゃぶ台をひっくり返す、という行動の代わりに、どんなことができたでしょうか。またその時の「怒り」のように見えるもの、それって本当はどんな気持ちがあったのでしょうか。
この『巨人の星』の話は続きます。
●怒りは考えによってより燃え盛る☞【感情調整】怒りそのものなような、そのようにみえるような
●怒りのコントロール法☞【タイムアウト】感情のコントロールについて【いつものパターンになっていませんか?】
●お茶飲んで話を聞いてもらうのもいいですよ☞【老和尚と鬼】怒りのコントロール、アンガーマネージメントともいいます